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愛語というは、衆生を見るに、まず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり 道元 ~「ブラック企業」という言葉に

お寺

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名言や格言といった類のものは、自分を強くすることもあれば、自分を甘やかしてしまうこともあります。それでも「こういう言葉があって、こういう考え方をしてもいいんだよ」と伝えることは、言葉や表現を意識することは他者への心配りであると考えるこのブログの趣旨に沿っていると思います。先人たちの言葉に触れて、自分の意識や行動に好影響を与える。どんなことでも言えることですが、大切なことはインプットに終わらずアウトプットに繋げることなのかもしれませんね。

愛語というは、衆生を見るに、まず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり

愛語というは、衆生を見るに、まず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり ― これは曹洞宗の開祖、道元さんの言葉。

道元 – Wikipedia

全文をご紹介します。

愛語というは、衆生を見るに、まず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり、慈念衆生猶如赤子の懐いを貯えて言語するは愛語なり。徳あるは讃むべし。徳なきは憐れむべし。怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること愛語を根本とするなり、面ひて愛語を聞くは面を喜ばしめ、心を楽しくす、面はずして愛語を聞くは肝に銘じ、魂に銘ず。愛語よく廻天の力あることを学すべきなり。

この言葉は、僕が言葉を意識するとき、言葉の仕事をするときに、その軸にあるものです。

誰に対しても分け隔て無く、慈しみの気持ちを持ちましょう。優しい言葉を選んで伝えることは、相手に対する思いやり。いいところは誉めましょう、相手の足らずを見つけても優しい心で。憎しみや心の疲弊を取り除いて、お互いが優しい気持ちになるためには、優しい言葉が必要なのです(かといって、難しい言葉を選ぶ必要はありませんよ。お礼、挨拶、雑談、そんなコミュニケーションを交わすことが、お互いの存在を認め合うことで、高めあえるんですねー)

これは僕なりの訳し方、解釈ですが^^;

言葉は変化するもの

いつもお伝えしている通り、言葉は変化します。そして、変化は柔軟に受けいれるべきだとも思っています。由来や本来の意味に固執しすぎて、周囲の誰かが使う「変化した意味」を受けいれられなくなってしまっては、それは「優しい言葉」から離れたものになってしまいます。言葉は人から人に移っていくもの。だから、変化も許容すれば、本来の意味を知っておいたうえで、様々な立場を受けいれていくということはきっと大切だと思うのです。言葉に配慮するということは、そんな色々な考え方を許容する心配りと優しさの気持ちを磨くことに繋がることなのかなぁ、と。

ブラック企業という言葉

言葉は優しさ。言葉は人から人に移るもの。

最近、「ブラック企業」という言葉を耳にする機会が増えてきました。自分も経営者ですので、この言葉に触れるたび、自分を責められているような気持ちになることがあります。肝に銘じておかなければいけないな、とも思います。

ただ。

世間一般でいわれるブラック企業にも、お勤めの方がいて、そのお勤めの方は、自分の生活やご家族を守るために一生懸命に働いているわけです。たとえばその方のお子さんが学校に行って、こんな風に言われたらどうでしょうか? 

「おまえの親、噂のブラック企業で働いてるらしいなー」

そういうことを言う側に問題があるのはもちろんです。それでも、そういう言葉を移してしまったのは、いったい誰なのかということも意識しておきたいのです。言葉は移るもの、子は親の背をみて育つもの。

指をさして批判をするのではなく

企業の体質としてブラックであることが良くないのは言わずもがな。ただ、企業の名前を出して、それがブラックの象徴であるような言い方をすることについては正直複雑な思いをしています。これは道元さんのいう愛語なのだろうか、言葉に優しさが伴っているのだろうかという風に考えてしまうのですね。

企業という箱を批判すると、そのなかにある人も苦しみ、そして、その周囲にまで傷は拡大します。殴られた痛みはその場限りですが、言葉によって苦しめられた心は、じくじくと、ずっと痛み続けます。残ります。問題提起のやり方については、もう少しだけ、優しさや配慮があってもいいのかもしれないと思うのですが、僕のこの言葉は、どんな風に響きますでしょうか。それともこれは、僕の甘えでしょうか。

言葉はやっぱり移るもの

言葉はどんどん変化していきます。優しい言葉も、暴力的な言葉も、無意識のうちに花を咲かせることもあれば、ナイフになってしまうこともあるでしょう。僕も誰かを傷つけているでしょうし、誰かの配慮に心救われていることもきっと。だからせめて、他を意識した言葉を使うときは、もしかしたらそれがナイフになる可能性があるかもという配慮はしていきたいと思うのです。きっとそれも十分ではなくて、「まだまだ」を指摘されることもあるかもしれません。そのときはそのときで「まだまだ」を伝えてくださった方に感謝が出来るようであればいいかな、と。

優しさの言葉、愛語。それはほんのちょっとしたコミュニケーションで叶うもの。挨拶や「ありがとう」といったお礼。そんな基本的な交換がお互いを認め合うことに繋がります。優しさを具現化することになります。「ほんのすこし」の優しさを、少しずつ、移していくことが出来れば、見えてくる景色はきっと清々しいのでしょうね。


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