韓国の業者さんから、取引依頼のメールがやってきます。
最初のころはカタコトの日本語だけで構成されていたそれらが、日を追う毎にぐんぐんと上達していくのを眺めていると、さて、僕たちはどれだけ、学んでいるや成長しているといった抽象的な言葉以上のわかりやすい動詞で、何を研鑽し、何を改善することが出来ているのかと考えさせられます。
貰った柿よりも、腕を伸ばして捥いだ柿の方が美味しい。
秋の夕暮れ、子どもの頃。
屋根の高さにあった柿を食べた思い出は、今も色褪せることがありません。
僕たちはいま、何に、どれだけの腕を伸ばすことが出来ているのでしょうか。