古文の授業でならった「べし」という言葉は、今日でも、意志や教訓を表す文章に用いられることがよくあります。
「人の話を聞くべし」という使い方であれば問題ありませんが「人の話を聞くべき」という用い方をすると誤りになってしまいます。「べき」という耳にすることの多い言葉の用い方について説明します。
文末に「べき」を使うとなぜ誤りになるのか、その理由
「べき」という言葉を文末に用いることは誤りです。
「べき」は「べし」の連体形。
連体形を文末に用いることは(原則として)できない
「である」「だ」「です」という言葉をつなげて使う
「べき」という言葉は「べし」の連体形なので文末に用いることはできません。べき、で文章を止めたいときは、そのあとに「である」「だ」「です」という助動詞を用いるのが原則です。
たとえば「あなたは毎日努力するべき」というのであれば「あなたは毎日努力するべきだ」と言葉を繋ぐ。「話を聞くべきという意見」であれば「話を聞くべきだという意見」という風に用います。
基本形 | 未然形 | 連用形 | 終止形 | 連体形 | 已然形 | 命令形 | 活用の型 |
べし | べく・べから | べく・べかり | べし | べき・べかる | べけれ | 〇 | 形容詞ク活用 |
助動詞の「べし」には推量・意志・当然・適当・命令・可能の意味がありますが、その活用形である「べき」は日常的に用いられるので、つい文末に用いてしまいがちです。
「連体止め」「体言止め」という表現もあるではないか、だから誤用ではないだろうという意見もあるかもしれませんが、名詞で文章を止める修辞方法は、余韻を与える効果を狙って行うもの。特に余韻の効果を狙う必要がない場面で用いるのは、やはり適切でないと考えた方が良いでしょう。
文末は「べき」で止めない。「べきだ」「べきです」「べきである」という表現にする。または終止形である「べし」を用いると覚えておいてください。
でも実際は「べき」で止まっている文章もよく見かけるような?
文末を「べき」で止めている文章は良く見かけます。これらはもう、一般化していて誤用ではないと言い切っている意見もあります。
歴史的な経緯でいうと、戦後に作られた国語審議会の公用文作成の要領(*pdf)では「べき」「べし」の使い方について言及があり、その流れを受けて作られたメディア(プレス)向けの用字用語集「記者ハンドブック」でも、文末をべきで止めないという項目があります。
「べき止め」が時代の変化に伴って一般化し、認められつつはあるけれども、教科書や役所、出版などの公的な場所ではまだ、この「べき止め」は許容されていないというのが実際のところでしょうか。
「べき止め」に違和感を覚える人もいる現状では、やはり、「べきだ」「べきです」「べきである」という表現にするよう意識することが無難であると言えそうです。