政治家や企業の不祥事、その謝罪の記者会見などで「不徳の致すところです」という表現をよく耳にします。「致す」という言葉には「する・なす」の意味がありますが、「不徳がする」から「ごめんなさい」とはいったいどういうことなのでしょうか。今回はこの「不徳の致すところ」という言葉の意味と使い方、なぜ「不徳の致すところ」で謝罪の意味になるのか紹介をします。
「不徳の致すところ」の意味と使い方について
「不徳の致すところ」という表現が謝罪する場面で使われているのは皆さんもご存じだと思います。では「不徳」や「致す」にはどういう意味があって、「謝罪」の意味になるのでしょうか?
「不徳の致すところ」は遺憾や反省の意味を表明する慣用句
失敗したとき、自分に原因があることを示している
「不徳の致すところ」は遺憾や反省の意味を表しています。不祥事、不都合、失敗のあったとき、「自分に足りない点がありましたのでこのような事態になってしまいました」という内容を伝えています。
では、そもそも「不徳」とはどういう意味なのか。
不徳には
・徳の足りないこと
・人の行うべき道に反すること
・背徳
という意味があります。
「人の行うべき道に反すること」の「致す」ところ。「不徳」の意味を知れば、なんとなくわかったような気もしますが、まだ「致す」のところがしっくりときません。それは、私たちの多くが「致す」を「致します」という謙譲表現での「する・なす」の意味で理解している人が多いからでしょう。
不徳、という言葉に続く場合の「致す」には「する・なす」の意味はありません。不徳という言葉に続く「致す」には、「至らせる」という動詞の意味から派生して「ある状態にたち至らせる」という意味があります。そしてこの場合の「ある状態にたち至らせる」は、多くの場合、良くない結果を引き起こすことを言います。
まとめてみましょう。「不徳」は「人の行うべき道に反すること」。「致す」は「(良くない)ある状態にたち至らせる」という意味でした。この二つの意味から「不徳の致すところ」は「人の行うべき道に反するような至ってしまった」という意味になることがわかります。
「不徳の致すところ」に謝罪の意味は含まれているのか?
「不徳の致すところ」という言葉には遺憾や反省の意味が含まれているとお伝えしました。ところで、「遺憾」とはどういう意味だったでしょうか。
「遺憾に思う」「遺憾の意」に謝罪の意味は含まれていない?
「遺憾に思う」という言葉はまるで他人事のような言葉になってしまいがち。その使い方の注意点をまとめてみました。
そう、「遺憾に思う」には「謝罪の意味は含まれていない」ということを以前、こちらの記事で紹介しました。「不徳の致すところ」という表現は遺憾を表している、ということは、この「不徳の致すところ」という表現も謝罪の場面でよく使われる言葉ではありますが、厳密には謝罪の意味合いは少なく、反省している自分の態度を示している表現であると考えて良さそうです。
回りくどく表現してフォーマルな謝罪の印象を与えますが、「遺憾」や「不徳の致すところ」という言葉には直接的な謝罪の意味はないということは知っておくと良いでしょう(反省を表明しているのだから、当然、そこには謝罪の意味もあるだろうという意見もあります)。
謝罪の場面で使われそうな「慙愧の念に堪えない」「陳謝と謝罪の違い」についても整理しておこう
謝罪の場面でよく使われる言葉には、ほかにも「慙愧の念に堪えない」「陳謝」などがあります。
「慚愧に堪えない」「慚愧の念に堪えない」は「残念で仕方がない」という意味ではなかった!
「慚愧に堪えない」「慚愧の念に堪えない」は記者会見などの謝罪の場面でよく使われる言葉。私たちが日常のなかで使うことは滅多にありませんが、その正しい意味を理解すると、相手の話が本質から外れていないかどうか、感じ取ることができます。
陳謝と謝罪の違いと使い分け ~泣いて謝るだけでは陳謝(ちんしゃ)とは言わない?
政治家や企業の不祥事の記者会見で使われることの多い「陳謝」という言葉ですが、これは普通の「謝罪」とはどう違うのでしょう?「遺憾に思う」や「慚愧に堪えない」という言葉とあわせて紹介しています。
色々な「反省」や「謝罪」の表現がありますが、誰が使うのであっても、誰に対して使うのであっても「ごめんなさい」という言葉にこそ、いちばん、謝罪の意味が含まれているのかもしれませんね。