「不肖(ふしょう)」という言葉は、「不肖山田太郎、一生懸命務めさせていただきます」という風に「私のような未熟な人間ではありますが」という謙遜のニュアンスで用いられます。ただ、この「不肖」という言葉は使い方を誤るとその控え目な意味合いが消えてしまうことがあるので注意が必要です。「不肖(ふしょう)」の正しい意味と誤った使い方を事例で紹介します。
親が使ってはいけない「不肖(ふしょう)の息子」という表現
まずは「不肖(ふしょう)」という言葉の意味を確認しておきましょう。
「不肖(ふしょう)」とは、親や師匠に似ることなく愚かであるという意味
不肖(ふしょう)とは、親や師匠の才能を受け継がず愚かな子(弟子)であるという意味になります。また、自分自身のことを言う場合のみ「未熟である」という意味でも用います。
この2つのポイントを理解しておけば「不肖の息子ですが、何卒よろしくお願い申し上げます」と親が言ってしまうと違和感があるということがわかります。未熟であるという意味で使いたかったのでしょうが、不肖という言葉は自分自身を控えめに表現するときに用いるわけですから、その意味にはなりません。また「親である私の才能を継ぐことなく、このような子ではありますが」という自画自賛になってしまってもおかしいですよね(親が自身の才能を自負しているのであれば誤りとは言えませんが)。
このように自分の子や弟子を控えめに表現するときは「不肖」という言葉を用いず、男性の場合は「愚息(ぐそく)」、女性の場合は「行き届かない娘ですが」「不束(ふつつか)な娘ではありますが」といった言い回しが用いられるのが一般的です。
ただし、「行き届かない」「不束な」という表現自体も「女性とは身辺周囲の方への気配りができて当然」という前提で用いられている言葉ですので、状況によっては女性蔑視の差別になってしまう可能性もあるのは心に留めておきたいところ。
紹介されたとき、指名されたときも「不肖」は用いない
披露宴やパーティーの司会者として指名された方が、冒頭「司会は不肖私、西端が務めます」という表現を用いることがあります。
上で説明した通り、「不肖」という言葉は自分自身の未熟さを伝える場合には用いることができますので、この表現は語法としては誤りではありません。ただ、こういったシチュエーションで自分自身の謙遜のつもりで不肖を用いると、司会者に自分を指名した方まで貶めてしまうことになってしまいます。「こんな未熟な人間を司会者に指名するような人間もどうかしてますよね」という理屈ですね。
謙遜の意味で「自分のような人間がこのような高い位置からご挨拶を申し上げますのは…」と言うのは、ほかの人たちが低い席にいると言っているのと同じことになってしまいます。
引用元:「高い席から失礼かと存じますが」「僭越ながら」と言ってはいけない理由 ~挨拶やスピーチで注意すること | コトバノ
謙遜も度が過ぎると周囲の人の価値を相対的に押し下げてしまうことになります。謙虚が美徳であるとされる日本では謙遜のつもりで使った言葉が誰かを巻き込んでしまっていないかどうか意識する習慣は身につけておいた方が良いのかもしれませんね。