「山」や「川」という字が形からおこった象形文字であることはご存知だと思います。
象形文字(しょうけいもじ)とは、ものの形をかたどって描かれた文字からなる文字体系で、絵文字からの発展によって生まれたと考えられている。
引用元:象形文字 – Wikipedia
今日はこのブログを書いている「西端」の話でなく、お隣の「北」という字について触れてみます。
背中合わせの「北」という漢字
「北」という字をよく見てみます。左右それぞれ、「頭」「背」「腕」「足」というパーツがあって、その人が座って背中を合わせているように見えませんか?
「北」の字源は、二人の人が背中を合わせる様子から
そう。二人の人がそれぞれ背中を向け合っている。そして、向き合わず背を向け合っているということは「離れていく」イメージがあることがわかりますね。だから「敗北」や「背走」という退く意味のあるこれらの熟語には「離れる」「逃げる」というイメージの「北」という字が使われているのでした。
背を向けるイメージは、その後「太陽に背を向ける」という意味にも広がり、方角の「きた」は「北」という漢字が使われるようになりました。
北海道という名前の由来
アイヌの方々がこの地を「カイ」と呼んでいたところに、こんな経緯で漢字をあてたのですね。
幕末(ばくまつ)の探検(たんけん)家として名高い松浦(まつうら)武四郎(たけしろう)が名付け親とされています。
松浦は、明治2年に道名に関する意見書を提出し、6つの道名候補(こうほ)をあげました(日高見(ひたかみ)・北加伊(ほっかい)・海北・海島・東北・千島)。このうち、「北加伊道」の「加伊」を「海」と変更(へんこう)して「北海道」となったとされています。松浦の意見書では、「加伊(カイ)」とは「夷(い)人」の自称(じしょう)であると説明されています。
すでに古代から、東海道、西海道、南海道などがあったので、北海道という名称は、ごく自然な感じがするのではないでしょうか。
ところで、松浦はみずから「北海道人」と号していたこともあるので、結果的には、松浦の雅号(がごう)が道名になったとも言えるでしょう。引用元:北海道の名前について
北海道という名称が使われるようになったのは明治2年から。木の葉丼は関西独自のものだった! ~木っ端微塵と木っ葉微塵、正しいのはどっち?でも書きましたが、明治になって色々な文化や名称に変化が見られるようになったのは面白いですね。