夕暮れ時、海岸。物思いな顔をした友人に「何を黄昏れてるのー?」なんて話しかけたこともあるのではないでしょうか。「黄昏れる」とは、遠い目をして物思いに耽る様子を想像しがちですが、実際の意味は異なりますので確認しておきたいと思います。
黄昏れるの誤用と本来の意味は
「黄昏れる」とは物思いに耽るという意味ではありません。
「黄昏」とは夕暮れの薄暗いときのこと。
黄昏・黄昏れるとは、夕暮れの薄暗い時間帯のことで、ひとの状態や様子を表す言葉ではありません。夕焼けを眺めては、その優しい空につい色々なことを考えてしまうので、この様子を黄昏れると表現してしまうことがあります。何か考え事をしているような状態は「物思いに耽る(ふける)」という言葉で表すのが適切なので、「黄昏時、彼は物思いに耽って過ごした」というような書き方をするのが正しい使い方になりますね。
黄昏という言葉の由来
まだ明かりの少なかった頃。
薄暗い夕方は、少し離れるとひとの顔の見分けがつきませんでした。あそこにいるのは誰だろう、という意味で声に出したのが「誰そ彼(たそかれ)」という言葉で、次第にこの言葉が「たそかれ(たそがれ)=夕方」を表すようになってきたといわれています。黄昏の由来は、やはり夕暮れにちなんだもの。その情景に少しロマンティックな印象を受けるのは私だけでしょうか。
夕暮れにちなんで ~島根県立美術館の粋な演出のご紹介
夕暮れにちなんだ話をひとつ。
日本の夕陽百選という、特定非営利活動法人日本列島夕陽と朝日の郷づくり協会が選定している場所があります。
日本の夕陽百選このうちのひとつ、島根県立美術館は宍道湖に沈んでいく夕陽を眺められるように、全面ガラス張りの構造になっていたり屋上展望テラスが設置されていたり、まさに水と夕陽の調和する幻想的な空間になっています。3月から9月は、日没30分後まで開館時間を延長するなど、夕陽を楽しむための粋な演出まで。庭園には神話の世界にちなんだオブジェもあって、本来の展示とあわせて様々な趣向が施されています。
島根県立美術館夕暮れ、黄昏、優しい時間。
神様たちの集う土地で、心と身体に優しい光に包まれて癒されてみるのもいいかもしれませんね。現実から、少しだけ離れて涙してみる。そんな素敵な場所もあるんだな、ということでみなさんの記憶の何処かに留めておいていただければ幸いです。