「忸怩たる思い(じくじたるおもい)」という言葉の響きって独特ですよね。
「さわり」を感じで書くと「触り」。触れるという語感から「深く突っ込むのではなく、最初の部分だけさらっと触れる」と捉えられることが多いようですね。
言葉の響き、語感から意味を誤用してしまうことが多いということは以前「話のさわり(触り)」でも話題にしましたが、「ぐじぐじとする、ぐじぐじと悩む」と音の響きが似ているためか、この「忸怩たる思い(じくじたるおもい)」という言葉の意味を「ぐじぐじ悩む」と誤用しているケースが多くみられます。また、他の行いに対して腹立たしいという用いるのも誤用です。
「忸怩たる思い」とは「ぐじぐじ悩む」意味ではない
「忸怩たる思い(じくじたるおもい)」と「ぐじぐじ悩む」。音の響きが似ていますが、意味は異なります。
「忸怩たる思い(じくじたるおもい)」とは「深く反省して恥ずかしいと思っている様子」のこと
「忸怩たる思い(じくじたるおもい)」とは「深く反省して恥ずかしいと思っている様子」をいいます。明鏡国語辞典第2版では「このような事態を招き、内心忸怩たるものがある」「力及ばず、忸怩たる思いだ」を用例としてあげていますね。
じくじたるという音の響きだけを聞いていると「ぐじぐじする」「腹立たしい」というイメージを膨らませてしまいますが、実際には「恥ずかしい」という意味で用いるのが正解です。言葉は時代によって変化もしますが、忸怩たるを「恥ずかしい」以外の用例で認める辞書はまだ存在しません。
忸怩たる思いを「腹立たしい」と誤用しないように
繰り返しになりますが「忸怩たる(じくじたる)」という言葉は「恥ずかしい」という意味。明鏡国語辞典第2版では使ってはいけない文例として「×連日報道される汚職事件に忸怩たる思いだ」をあげています。
私たちは、この「忸怩たる」という言葉を日常的に用いることはあまりないかもしれません。しかし改まった場や文書などで使うときに「悩む」「腹立たしい」と誤用してしまうと、かえって恥ずかしい思いをしてしまうことになりかねません。役所からの発表や政治家のスピーチなどで耳にすることの多いこの表現、使い慣れない言葉だからこそ、耳にするたび、本来の意味にあった使い方をしているかどうか確認するようにしておきたいものです。