「君はうがった見方ばかりをするね、素直じゃない」
「うがった」「穿つ(うがつ)」という言葉は、否定的な意味合いで使われてしまうことが多いようです。誤用されるようになった理由は「うがつ(穿つ)」という言葉が「疑う」に似ているからとも言われていますが、今回は「うがった見方」「穿つ(うがつ)」とはどういう意味なのか確認してみましょう。
「うがった見方」とは ~「穿つ(うがつ)」の意味
「君の考え方はひねくれている」「偏見があるね」という風に、「うがった見方」の誤用としてその考え方が平均的なものではないと使われるケースが5割近くあるということが平成23年度の文化庁による国語に関する世論調査でわかっています。
「穿つ(うがつ)」とは穴を開けるという意味
→深堀りして、物事の本質を捉えるという肯定の意味がある
「穿つ」「うがった見方」とは、物事の本質を深く捉えた肯定の意味の言葉。「穿つ」の元々の意味が穴を開けていくということなので、それが転じて本質に迫っていくという意味を持つようになりました。
つまり「君はうがった見方をするね」という書き方をした場合は、相手の洞察力や考え方について良い評価をしているということになります。「ひねくれもの」「物事を浅く考えている」といった相手を非難したりマイナスに評価する意味はありませんので注意が必要です。
「雨垂れ石を穿つ(うがつ)」ということわざにも
雨垂れ石を穿つということわざがありますが、このときの「うがつ」も「うがった見方」で使われるものと同じ意味。
こつこつとした努力を継続すれば、いつかは成果を得られるようになるという意味である雨垂れ石を穿つということわざは、ほんのわずかな雨垂れでも、ずっと同じ場所に落ちていくと、石にさえ穴を開けてしまうという情景から生まれました。「継続は力なり」と同じく、日々の積み重ねを大事にせよという教え。「うがつ」という言葉に否定的なニュアンスがないことは、このことわざからもご理解いただけるのではないかとおみます。
川柳の三要素とは ~「うがち」「おかしみ」「かろみ」
川柳と俳句の違いについて、以前、こんな記事を書きました。
俳句と川柳の違いとは ~行間を想像させるスキルを磨く川柳 | コトバノ575の合計17文字で表現される短詩文芸、それが川柳でしたね。17文字の制約のなかで「穿ち(うがち)」「おかしみ」「かろみ」を織り込むようにするべきであるとするのが、川柳の三要素であるといわれています。「おかしみ」や「かろみ」はわかりやすいのではないかと思いますが、ここでいわれる「穿ち」は、やはり同様に、表面からはわかりにくい人の行動や考え方の本質に迫って突くべきであるというわけです。
見えないものを的確に表現する、それが「穿つ」「うがった見方」。この言葉の美しさをしっかりと心に留めて、物事に対する「穿ち」を養っていきたいですね。