140文字で変わる表現力 PR

俳句と川柳の違いとは ~行間を想像させるスキルを磨く川柳

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短歌と川柳とマカロニとというブログも始めました@bataです。どうか川柳ブログもお付き合いいただけましたら幸いです。

さて、今日は川柳についてご紹介。

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川柳は575という17文字で構成される短詩文芸。俳句とは違って切れ字や季語といったルールを守る必要はありません。また、俳句はモノを詠み、川柳はヒトを詠むといわれています。ルールが少ない分だけ、俳句よりは川柳の方が始めやすいと言っていいかもしれませんね。親指で気軽に始めることの出来る趣味、文芸。サラ川のイメージが強いので面白い内容を詠みこむことが川柳の特色のように言われますが、川柳の三要素は「穿ち(うがち)」「おかしみ」「軽み」とされていて、必ずしも笑いの要素が入っている必要はありません。短詩文芸という表現からも分かる通り、川柳は人の心情を詠みこんだドラマそのもの。芸術性に優れた作品も多数あります。

俳句と川柳の違い ~ヒトを詠む、モノを詠むとは

では、実際に同じような情景を詠んだ2つの句を紹介します。
どちらが川柳でどちらが俳句になるか、わかりますでしょうか??

だいこ引きだいごで道を教えけり(小林一茶)
ひん抜いただいこで道を教えられ(作者不詳)

(※だいご=大根)

方向を指す大根そのものに意識が向くか、その大根で教えられている自分自身の滑稽な姿に意識が向くか。その違い、伝わりますでしょうか。そう、正解は小林一茶さんの句が俳句で、後者が川柳となります。この二句の違いについては下記のサイトの解説がわかりやすいので、引用してご紹介しますね。

 俳句の目は、作者が目にした面白い風景、すなわち道を聞いた旅人に、抜いたばかりの大根で道を教える奇異な発見の感動を作品化しています。
 川柳の捉え方は、目にした風景ではなく、作者自身が体験した道を聞いた際に、目の前にむんずと振り上げられた、泥のついたままの大根への驚きが伝わります。「ひん抜いた」というコトバ(動作)が、いかにも粗野な教え方をイメージさせ、格調では一茶に負けますが、風景の面白さを訴えかけます。

引用元:川柳と俳句の違い

言葉を引き算して伝えよう

川柳を読み物として楽しみたいとき、読みながら行間を想像させるスキルを磨きたいときにオススメの一冊はこちら。僕もこれまでに20回以上は繰り返し読んで、その一つ一つの情景に何度も思いを馳せています。

たとえば。

放課後が近づいて、教室の窓から空を見上げる。
いまにも泣き出しそうな曇り空を見て、朝、母の忠告に耳を傾けなかったことを後悔した。

という文章、情景。これを、

放課後も未来も母は案じてる

という川柳に集約してみると、どうでしょうか。
いついかなるときも、子の「これから」を想う母の心情が伝わってこないでしょうか。
そして、(放課後に何があったのだろう)(放課後のことをいつ案じたのだろう)という想像や質問が生まれてこないでしょうか。

どんな表現も、説明して伝える以上に相手がその情景や心情を想像しようとしてくれると感動が生まれます、印象に残ります。文章を削っていくことで、そのすき間を相手の想像力に委ねられるトレーニングに川柳は最適。みなさんも是非、ブログやtwitter、Facebookなどの日常で「17文字で伝える」訓練をしてみてはいかがでしょうか。また、そんな同志のみなさんと交流を深められること、楽しみにしています(^^)